元幕内剣武(つるぎだけ)をバースデイで特集!怪我に苦しんだ苦労人

2019年2月16日(土)の17:00~放送されるBirthDay(バースデイ)では、大相撲力士となるも苦労して何とか幕内まで辿り着いた力士の現役時代から、引退後までを特集しています。

バースデイといえば、本格的なドキュメンタリー番組で、「過去の自分を突き破り 未知なる自分が産声をあげた時 人生という名のカレンダーに 新しい誕生日が刻まれる バース・デイ」というコンセプトの番組です。

毎回心を打たれる番組ですよね。今回は特集をされる元幕内の剣武(つるぎだけ)を紹介していきたいと思います。

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剣武(つるぎだけ)の実績

剣武(つるぎだけ)は元幕内力士という事ですが、正直私自身はほとんど記憶に残っていません。どのような力士だったのでしょうか?

剣武の生涯戦歴は261勝208敗50休で角界にいた期間は約11年でした。最高位は幕内ギリギリの西前頭16枚目です。

優勝成績は序ノ口優勝が1回ありますが、幕内に上がったとはいえギリギリなのでそれほど有名にはなれなかった力士です。これは、私が知らないのも無理はないかなと思います。

付け出しなしで入幕後5場所目にして序ノ口、序二段、三段目を超え幕下に昇格と非常に順調に進んでいきましたが、幕下の壁を突破するまでにはその後は約9年かかってしまいました。

大学卒業力士が初土俵から十両まで昇進するのに要した場所数としては最も多い63場所で最も遅い昇進です。63場所というと、実に10年半もの期間です。

通算の十両在位は7場所で、さらに幕内にも昇進しましたが4勝11敗で1場所で跳ね返され、定着は出来ないままの引退となってしまいました。

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最スロー出世の理由

幕下までは5場所と順調に昇進していった剣武はなぜ、最スロー出世になってしまったのでしょうか?その理由を明確にしていきたいと思います。

実は、剣武は何度も何度も怪我をしてしまっていて、中でも激しくぶつかることによって発症する可能性のある網膜剥離に悩まされ続けていました。

左目を3回、右目を1回手術しています。目の手術ってすごく怖いですよね。私自身はそう何度も手術をしなければならないほどだと、きっと諦めて引退してしまうと思います。

剣武自身も何度も引退を考えたようですが、そんな剣武の心を支えたのは、大学の同期で同部屋で先に幕内への昇進を果たしていた垣添の言葉でした。

治療の為に剣武が入院している時に、新入幕で白星を挙げた垣添がインタビューで、入院している剣武の為に今日は勝ちたかった!と答えたことで、やる気を取り戻しました。

その後は怪我と戦いながらも持ち前の精神力で地道に番付を上げ、何とか63場所で十両に上がることが出来ました。

実は大学の同級生で同部屋で同じ日に初土俵に上がった垣添と剣武は、引退も同じ日だったというエピソードがあります。お互い怪我での引退でしたが、二人で話があったのかもしれないですね。

剣武の改名歴

剣武は本名を宮本一輝といいますが、実はかなりの回数四股名を変えているんですね。

入幕時は本名の宮本一輝でしたが、その後は武甲山一輝(ぶこうざんかずてる)→宮本一輝(みやもとかずてる)→武甲一輝(たけかぶとかずてる)→剣武輝希(つるぎだけてるき)としています。なぜこんなに何度も解明を繰り返したのでしょうか?

具体的な理由はわかりませんでしたが、1度目の宮本→武甲山は三段目から幕下に昇進するタイミングでよくある昇進を機にという感じですね。

2度目の武甲山→宮本は初めての休場のタイミングなので、負け越しが続いた後の休場のタイミングだったので、昇進していった宮本に戻して心機一転頑張ろうと思ったのではないでしょうか?

3度目の宮本→武甲は特に特徴的な出来事があったわけではないのですが、長く(5年ほど)本名の宮本でとったので、ここでまた気持ちを新たにする意図があったのでしょうか。

最後4度目の改名である武甲→剣武も特に特徴的な出来事はありませんでしたが、もう一度名前を変えて上を目指したんですね。結局この剣武という名前で新十両や新入幕を果たしています。

今は実家を継いでいるようなので、その様子はまた違う記事に書きたいと思います。

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